En−a層上位出土遺物の出土(石器時代)

    約15,000年前の恵庭岳噴火により降下したバミス。丘陵上の平坦面で約2m堆積し、   最上面は風化し厚さ20cm程が  ロ ーム化している。

 En−a層上位出土遺物

  遺跡の立地

  本遺跡に細石器文化期の石器群が存在することは、昭和631988年に実施された北海道教育委員会による埋蔵文化財範囲確認調査のおりに出土し、過去の調査において、古砂丘に起因する独立丘陵から細石器文化期の石器群が発見されており、地形的な観点からもその存在は予想されていた。

丸子山遺跡概要図―C

千歳川・オルイカ川と丸子山遺跡

  遺跡は、千歳川に形成された中流域の一角に位置する。

  中流域は、石狩低地帯の最南部を占める沖積地であり、30年程前までは、千歳川、長都川、ユカンボシ川、祝梅川が流入する長都沼、その北東に位置し馬追川、剣淵川が流入する馬追沼など大小の沼が点在していた大湿原地帯であった。

 東側には標高100300mの馬追丘陵が南北に連なり、低地に向かう大小の沢が刻まれている。この丘陵の西裾には、沢水を受け止めるように北のマオイトーに向かって流れるオルイカ川がある。

 本遺跡は、このマオイトー川左岸に位置する独立急流上立地する。

第一層:樽前a降下軽石(Ta−a層)。1793年の樽前山の噴火により降下し             

               バミス。厚さ約60cm堆積し丘陵の最上層として全域を覆っている。

               無遺物層である。

第二層:第一黒色層(TB層)。第一層と第二層の間にある腐食土。若干の      Ta―aバミスを含む。 縄文     時代晩期末葉から1973年の間に形成さ

               れた土層である。当遺跡では主に続縄文・擦文時代の遺構・遺物が存在

               する。厚さ約20cm。

第三層:樽前c降下軽石(Ta−c層)。縄文時代晩期末葉(約2,000年前)

               降下したと言われているバミス。丘陵上の平坦面では5cm程斜面では

               20cm程の厚さに堆積している。

第四層:第U黒色層(UB層)。第三層と第五層の間にある腐食土。縄文時代早

            期から晩期末葉間に形成された土層。当遺跡では縄文時代各期の遺物が

               出土しているが、主に縄文時代中期末から後期初頭にかけての遺構・遺

               物が検出された。丘陵上の平坦面では約20cm、斜面では3050cm

               堆積している。

第五層:恵庭a降下軽石層(En−a層)。約15,000年前の恵庭岳の噴火によ

               り降下したバミス。丘陵上の平坦面で約2m堆積し、最上面は風化し厚

               20cm程がローム化している。ローム層の上面では細石刃を伴う石器

               群が出土した。

第六層:茶褐色の火山灰層。支笏火山灰が風化した土壌であると言われている

               が、堆積原因、成因等が不明なため仮称とした。厚さは約80cmあり、

               肉眼では複数の堆積層や明瞭なインボューションが観察できる。

               上面よりエンドスクレイパーを伴う石器群が出土した。

第七層:支笏火砕流堆積物風成2次堆積層。31,00034,000年前に噴出した

               支笏第一テフラに起因する。古砂丘を形成し本丘陵の基盤をなしている。

 市内の細石器文化期の遺跡は、祝梅上層遺跡、メボシ川2遺跡である。いずれもオショロッコ型細石器刃核を伴う石器群である。祝梅上層遺跡は南西に直線距離で4,8km、メボシ川2遺跡は南西に直線距離で4,6kmの位置にある。最近の調査で低地部のオサツ2遺跡からも同時期の資料が出土している。