環状土離―2号

  2号環状土離

 1号環状土?の南側に構築されている。周提が低く、また竪穴もごく浅いことから表土からは明確ではなく、Ta−c(第二黒色土壌)を除去した段階ではじめて確認された。

 擦文期の4号竪穴住居に切られており、1号環状土?との隣接部であるが、2基の環状土?の新旧は2号がやや新しいと判断されている。周提部を含めた直径18m、竪穴部の直径は13mをはかり、1号環状土?より小さい。

 墓抗は4基検出された。竪穴のほぼ中央部に構築されている。長軸方向は2号墓抗をはじめとしてバラツキがあるが、概ね東西方向を意識していると考えられる。

 1号墓抗は長軸2,0m、短軸0,8m、深さ90cmを測る。埋土は4層確認された。埋土を1層掘り下げた段階で東西の両端に直径20cmほどの空洞部が確認された。この空洞部はそれぞれ抗底にまで達しており、抜き取りの痕跡がないことから、木質の墓標様の施設が腐食、消失した痕跡と考えられる。抗底の遺体は完全に消失していた。

 遺物は抗底南壁に沿って弓が一張り検出された。1号環状土?の例と同様に漆が塗布されている。長さ1,7mの長弓である。木質部は既に失われており、漆膜の残存状況も必ずしも良好ではなく、取り上げることは出来なかった。

 竪穴抗底には墓抗の他に焼土が一ヶ所確認されている。遺物は伴わず、その性格は必ずしも明確ではないが、環状土?に伴う遺構であり、遺体の埋葬に関連した何らかの葬送儀礼の痕跡とも考えられる。