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キウス4遺跡・R地区・盛土遺構

 キウス4遺跡・R地区―2

  キウス4遺跡の南西部。標高9〜10mの段丘面及び標高7〜8mの低地があり、その間は南から西側では段丘崖、東側では緩斜面になっている。西側の段丘面の大半は[層中まで削平されている。

[層とはEn―a(恵庭@降下軽石層、約15,000年前)

   遺構

  北東から南西にかけての盛土遺構がある。

  これは周提墓群から延びる南側盛土遺構の大部分に相当する。

  調査区内で検出された範囲は、長さ約80m、幅40m、厚さは最大約0,8mに達している。  

  盛土遺構は大きく2層(上位・下位)に分けられ、上位は黄褐色土を主体として明るく、下位は暗褐色土を主体として暗い。

 又土器の出土状態でも差異がみられ、上位は細片のものが多いが、下位では大きな破片が多く、その場で潰れた上体の土器や完形のものも多数見られる。

  住居跡は、縄文早期後半と見られるものが緩斜面及び低地で2軒、後期中葉〜後葉の時期と思われる出入り口に当たるハの字状の小ピットをもつものが段球上で7軒以上検出されている。

 土坑には、墓・貯蔵穴、又は柱穴状ピットには大型柱穴・小柱穴がある。土坑墓と見られるものの内1基は盛土上面付近から掘り込まれている。

  遺物

 土器・石器等合計約120万点を数えたが、このほかに微細なフレイク・チップ、骨片、炭化物などが多量に出土している。遺物の大部分は盛土遺構に含まれていたものである。又、盛土遺構の土は、微細な遺物を多く含むため全て採取し、水洗・選別作業を行う予定。

 土器は全出土遺物の8〜9割を占める。縄文時代後期の堂林式が殆どであるが、縄文時代早期後半・後期前葉の土器も若干見られ、縄文中期・擦文土器も僅かに出土している。

 又、東北地方由来の土器もあり、これらの土器にはベンガラ・主漆といった赤色顔料が塗布されている。

 石器・礫等は、全出土遺物の約1割程度である。定型的なものでは、石鏃・石錘・つまみつきナイフ・スクレイパー・石斧・敲石・磨石・砥石・台石があるが、中でも石鏃の数の多さが目立つ。

 土製品・石製品も多数出土している。土偶・スタンプ型土製品・ミニチュア土製品・垂飾・異形石器・オロシガネ状石製品・石棒・ヒスイ玉などがある。

そのほか朱漆の塗膜が出土しており、飾り弓や椀の一部と見られるものもある。又、盛土中から焼骨の小片が多量に出土している。

 今回調査で特に注目すべき遺物に木製品がある。その殆どは調査区南西部の段丘崖を下った低地、特に流水路から出土しており、縄文時代後期の堂林式土器を伴っている。

 容器・石斧の柄・槌状木製品・スダレ状製品・杭などがある。容器には、脚が付いているものや側辺部に抉りが見られるものもある。斧の柄にはグリップエンドの加工がある。スダレ状の製品にはヨシのような草の茎を束ねたものである。「ウケ」に酷似する樹皮製漁具と見られるものも出土した。

 又、流水路付近で、杭状の直立した状態で多数出土し、列をなすものも見られる。

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