千歳市・キウス9遺跡

   キウス9遺跡

   縄文時代早期〜アイヌ期まで

  遺跡は、キウス川の南側の標高約18mから27mの台地上にある。

 縄文時代早期〜アイヌ期までの様々な遺構・遺物が見られますが、主体的に見られるのは擦文時代のものです。

 特に竪穴住居跡は調査前の地表面から四角い窪みが数ヶ所で確認されていました。これらは平面形が隅丸方形で、炉やかまどを持ち、4本の柱で上屋を支える構造であったようです。

 住居の覆土や堀上げ土からは多数の擦文土器のほか、紡錘車や土玉などが見られ、時期は8世紀中頃と考えられます。

 このほか特徴的な遺物として、縄文時代早期の石刃鏃が20点以上出土している。

  キウス川左岸の標高1827mの段丘及び緩斜面上にあり、北側は急斜面下にキウス川が西流する。現況は林地であり、木根や風倒木痕が多数見られる。

 Ta―c降灰期の間の地割れが複数走っている。基本土層はV層及びX〜Y層が主な遺物包含層である。

 遺跡の特徴として、擦文文化期前期の集落が主体である点と石刃鏃が多数出土した点が挙げられる。

  遺構と遺物

  V層の遺構は、平地住居跡3軒・建物跡3軒(擦文文化期〜アイヌ文化期)、竪穴住居跡6軒・鍛冶遺構一ヶ所(擦文文化期前期)、土坑4基、集石3ヶ所、灰集中4ヶ所、焼土15ヶ所、柱穴群などがある。

 擦文文化期前期の竪穴住居跡は、段丘縁の平坦面に位置する。平面形は1軒のみ円形に近いが、それ以外は隅丸方形である。 2軒は北側壁のほぼ中央にカマドを有する。住居跡の遺物は甕・球胴甕・高杯・杯などの土器の他、紡錘車・土玉などの土製品、扁平円礫などの石器、鉄製品がある。

 鍛冶遺構は8×6mほどの範囲で、鉄製品(片)・鉄滓・鉄床石・ふいごの羽口片などが出土し、小規模な製鉄作業が行われたと想定できる遺構であるが、焼土や柱穴は確認されなかった。

 X〜Y層(第二黒色層〜漸移層)の遺構は、竪穴住居跡2軒(縄文時代早期・前期)、土坑15基、Tピット4基、焼土27ヶ所、の住居は、概ね円形で直径約7mの大型のものであり、東釧路V式土器(縄文早期の撚糸文系土器(東釧路V式、コッタロ式、中茶路式、東釧路W式)を伴っている。

 遺物は総数約83,000点出土した。

 内訳は土器等45,300点、石器等36,800点、金属製品約900点(鉄滓など含む)で、土器は縄文時代早期〜晩期・続縄文時代・擦文文化期まで各時期のものが出土しているが、擦文土器が約26,000点で最も多い。

 特徴的な遺物として、石刃鏃が70点ほど(破片含む)出土している。土器やその他の石器は伴わず、平坦面から緩斜面にかけての広い範囲に分布する。