キウス7遺跡―1・縄文時代早期〜近世までの複合遺跡

  キウス7遺跡―1

  縄文時代早期〜近世までの複合遺跡

  キウス7遺跡は馬追丘陵の西斜面中腹にある。標高は約3745mで、高速道路の用地になる前は、一部が畑地として利用されていたが、大部分は落葉広葉樹が卓越する山林であった。西側にはキウス川を隔ててキウス5遺跡がある。

  調査予定地は東西の長さが約360m、最大幅が180mに及ぶ。東西の長い区域は平坦面の広がりとして認められるが、東が高くて西に低い緩やかな傾斜地である。

 北西部分からは、東に向かって沢が入り込んで、これを中ノ沢と呼ぶことにした。

 中ノ沢は比高10mほどで、幅1520mの窪地であり、沢頭から西へ150mほどでキウス川に合流している。

 ここの道路は近代における土地の区画に由来するものであり、510mの幅で縄文時代の遺物包含層までも削平されている。

 遺物の本来的な包含層は、V層(第T黒色土層=近世〜擦文時代〜続縄文時代〜縄文時代晩期)とX層(第U黒色土層)・Y層(漸移層)=縄文時代晩期〜縄文時代早期)である。

  V層の遺構

  道跡3筋、柱穴群1群、土坑21基、焼土25ヶ所。

  中ノ沢の沢頭よりも北東側に道跡が3筋検出された。アイヌ文化期のものと推定される。

  調査区域中央付近のほぼ平坦なところから、縄文時代晩期〜続縄文時代前期のものと推定できる礫のまとまりが検出された(集礫)。縄文時代晩期から続縄文時代のものと推定される土坑と焼土の分布状態は、中ノ沢の北側の平坦部では比較的集中している。

  X層の遺構

  住居跡16軒、大型土坑4基、深い土坑1基、土坑34基、埋甕1基、焼土126ヶ所。

  縄文時代後期の住宅跡は、中ノ沢の周囲に9軒、調査区域西側の平坦部に6軒。

  中ノ沢の北側にある明瞭な竪穴式のもの(H−7)と4本柱による平地式のもの(H18)とは対になるものであろう。

  中ノ沢の南側では、明瞭な竪穴式のもの(H―1112)と4本柱による平地式のもの(H―1019)、傾斜地にあって平面形の三分の一ほどが失われたもの(H―13)および炉跡の周囲にいくつかの柱穴がある不明な平坦式のもの(H―8・9)がある。

 H―11の中央部には土器の大破片を直径50cmほどの円形に敷き詰めた炉があり、H―8の中央付近には土器片を縦に埋め込んで囲った炉跡が見られる。

   遺物

   土器、石器等の出土遺物は約70,000点。土器は縄文時代後期の手稲式、堂林式、縄文時代晩期のタンネトウL式、続縄文時代の大狩部式系、多く出土している。

  石器は石鏃、石槍、石錘、つまみ付きナイフ、スクレーパー。石斧、敲石、台石、磨石、石皿、砥石などがある。

  これらの定型的な石器は、分布状態や形態的な特色などから判断して土器との対応関係が明瞭に推定されるものがある。

  オロシガネ状土製品、勾玉状の土製品、臼形の土製品(耳栓?)、黒曜石の棒状原石、ガラス玉もある。