ウサクマイN遺跡・サイクリングロード建設工事(Ta−a層)

 ウサクマイN遺跡・Ta−a層:1739年降下

 サイクリング道路建設工事

  千歳市街から西方(支笏湖側)約5km、千歳川とその支流内別川に挟まれる標高2426mの谷底平野に立地。

 丁度2河川の合流部にあり、その上流域には隣接して、国指定史跡ウサクマイ遺跡群など多くの遺跡が広がりを見せる。

(道道支笏湖公園線交通施設工事用地内埋蔵文化財発掘調査・北海道埋蔵文化財センター、平成117月〜10月)

 千歳市街から支笏湖に通ずるサイクリング道路建設工事に先だつ発掘調査。アイヌ文化期、擦文文化期の竪穴住居跡・墓抗など多くの遺構・遺物が検出され、注目を集めて遺跡である。

 調査範囲は地形的に大きく谷底平野平坦面と内別川旧河道部に分けられ、全体に樽前a降下軽石層(Ta−a層:1739年降下)に覆われている。

 調査の保存状態はいたって良好であり、アイヌ文化期・擦文文化期を主体に、続縄文文化期・縄文時代晩期などの遺構・遺物が検出されている。

 平坦面ではTa−a層下の黒色土層及び茶褐色土層に遺跡が形成されている。

第一層:樽前a降下軽石(Ta−a層)。1793年の樽前山の噴火により降下し             

               バミス。厚さ約60cm堆積し丘陵の最上層として全域を覆っている。

               無遺物層である。

第二層:第一黒色層(TB層)。 第一層と第二層の間にある腐食土。若干の      Ta―aバミスを含む。 縄文時 代晩期末葉から1973年の間に形成さ れた土層である。当遺跡では主に続縄文・擦文時代の遺構・遺物が存在 する。厚さ約20cm。

第三層:樽前c降下軽石(Ta−c層)。縄文時代晩期末葉(約2,000年前)

               降下したと言われているバミス。丘陵上の平坦面では5cm程斜面では

               20cm程の厚さに堆積している。

第四層:第U黒色層(UB層)。第三層と第五層の間にある腐食土。縄文時代早

            期から晩期末葉間に形成された土層。当遺跡では縄文時代各期の遺物が

               出土しているが、主に縄文時代中期末から後期初頭にかけての遺構・遺

               物が検出された。丘陵上の平坦面では約20cm、斜面では3050cm

               堆積している。

第五層:恵庭a降下軽石層(En−a層)。約15,000年前の恵庭岳の噴火によ

               り降下したバミス。丘陵上の平坦面で約2m堆積し、最上面は風化し厚

               20cm程がローム化している。ローム層の上面では細石刃を伴う石器

               群が出土した。

第六層:茶褐色の火山灰層。支笏火山灰が風化した土壌であると言われている

               が、堆積原因、成因等が不明なため仮称とした。厚さは約80cmあり、

               肉眼では複数の堆積層や明瞭なインボューションが観察できる。

               上面よりエンドスクレイパーを伴う石器群が出土した。

第七層:支笏火砕流堆積物風成2次堆積層。31,00034,000年前に噴出した

               支笏第一テフラに起因する。古砂丘を形成し本丘陵の基盤をなしている。

  Ta−a層直下のアイヌ文化期では竪穴跡2軒、墓、道跡などが検出され、中でも近世アイヌ墓は昭和51年度調査分を加えると3基目となる。

 今回の墓は台形(遺体頭側が幅広)の墓抗に周溝をもつもので、頭位はほぼ東を向いている。副葬品は擴口部頭側に内耳鉄鍋が伏せて置かれ、遺体腰部西側に刀子、頭部西側に漆膜(椀?)が出土している。又、黒色土層上面では(鉄鍋片・マレクなど)が見られ、建物跡1周辺からはガラス玉7点が出土している。

   擦文文化期は、竪穴住居跡11軒のほか、土坑、焼土など多くの遺構が検出された。活発な生活活動が窺える。

 今回調査した竪穴の中では古く位置付けられるほか、暗茶褐色土上面で検出された掘り込みの浅い竪穴があり、竪穴の構造面、性格などは検討が必要となってくる。

 「富壽神寶」(次ページ)が二枚出土した。竪穴堀上げ土との関係は不明ながら、後世の混入とは考えられず擦文文化期のものと判断される。

 擦文文化期の出土例としては、道内で初めてである。

  旧河道部ではTa―a層下の黒色泥炭層中に上下二枚の火山灰層が確認でき,下位の火山灰は黄白色を呈するもので、検鏡の限りB−Tm(?)にほぼ間違いないとの結果が得られた。

 下位砂礫層に打ち込まれた立杭列を検出。暗茶色泥炭層・砂礫層のほぼ境界部からソーメン文を持つオホーツク式土器(一個体)が出土の他、須恵器片、サメの歯1点などが出土している。

 砂礫層から縄文時代前期から擦文文化期までの土器片・石器類が出土しており、縄文期土器片の摩滅がより顕著に観察される。

 内別川上流部域の遺跡から流下した遺物も包含することが考えられるが、泥炭層・砂礫層の形成過程は平坦面との関係を含めて考えなければならない問題多く、今後の課題である。