縄文時代早期の墓から
擦文文化の遺物

  苗別川沿いのウサクマイ

  縄文時代早期の墓から擦文文化の遺物

  ウサクマイD遺跡

  ウサクマイA遺跡の立地する低位段丘のさらに下位に広がるテラス上に位置する。

  擦文時代の竪穴住居跡が7軒確認され、東端には縄文時代の「墓」が発見された。

  ウサクマイE遺跡

 ウサクマイA遺跡に後背する台地上に立地する。苗別川との比高は約30mあり、その台地上で、擦文時代のものと考えられる竪穴住居跡を2軒確認。

  ウサクマイF

 ウサクマイA遺跡の西側のテラス上に位置する縄文時代中期の遺跡である。そのテラスには、擦文時代の竪穴住居跡と思われる浅い凹地が十数カ所確認。

  ウサクマイG

 苗別川左岸の段丘に後背する台地斜面と縁辺部に立地する。ウサクマイA遺跡の対岸であるが、30度前後の急斜面であるが、ここに擦文時代にものと思われる「墓」を2ヶ所確認。

 又、縄文時代中期の遺物も検出しており、この斜面にどのように広がるものか大きな問題を残した。

 台地上では縄文時代早期の遺物が発見されている。苗別川との比高差が35mもある北信濃台地上である。

  ウサクマイH遺跡

 苗別川左岸の低地段丘に位置し、続縄文時代、或いは擦文時代のものと思われる竪穴住居跡が14軒確認。時期判定が困難であるが「墓」が発見。

  ウサクマイI遺跡

 苗別川左岸の狭く長い低地段丘部に位置する。擦文時代の竪穴住居跡の凹みが3ヶ所確認されたが、地理的条件を考慮すると、他にも「埋没」が進行し、現地表面からは観察が不可能なものも多数存在すると思われる。

 この地方一帯は樽前火山灰が厚く積もり、表面採集が不可能という古都である。 テストピットからは縄文時代の遺物も発見されている。

  ウサクマイJ遺跡

 苗別川右岸の低地段丘部に位置する。縄文時代早期、前期、中期そして晩期の包蔵地である。その段丘に抱かれるように、さらに低いテラスが苗別川に面しているが、その部分において、道内では勿論全国的にも極めて珍しい縄文前期の「泥炭層遺跡」が発見され、土器片のほかに植物などを採集した。

  ウサクマイK遺跡

 苗別川右岸の低地段丘部で、J遺跡の西につながる。この地域では擦文時代の竪穴住居跡の凹みが現地表面に残り、4軒が確認。その内1軒については、今回の発掘である。

 カマドと煙道をもつ典型的な擦文時代の竪穴住居跡であった。 発掘に際し、明治以降の陶磁器等の遺物が出土して炭焼きの跡を探ることができる。

  ウサクマイL遺跡

 苗別川右岸低位段丘に位置する縄文時代から続縄文時代、擦文時代に亘る複合遺跡である。中でも縄文時代のものが多く、とりわけ前期の「縄文土器」の出土が目立つ。

 それと同時期と思われる「墓」が3ヶ所確認され貴重な資料を提供している。中期の竪穴も1軒発見。

  ウサクマイM遺跡

 苗別川左岸、ウサクマイL遺跡の対岸の低位段丘部に位置する。縄文時代、続縄文時代の遺跡である。特に縄文時代後期、晩期のものが多いが、遺物の中に「貝殻文」を有する土器が1片あり、非常に古い遺跡発見の可能性を秘めている。 


(千歳市教育委員会)


 第一層:樽前a降下軽石(Ta−a層)。1793年の樽前山の噴火により降下し   

               バミス。厚さ約60cm堆積し丘陵の最上層として全域を覆っている。

               無遺物層である。

第二層:第一黒色層(TB層)。第一層と第二層の間にある腐食土。若干の      Ta―aバミスを含む。 縄文時代晩期末葉から1973年の間に形成さ

               れた土層である。当遺跡では主に続縄文・擦文時代の遺構・遺物が存在

               する。厚さ約20cm。

第三層:樽前c降下軽石(Ta−c層)。縄文時代晩期末葉(約2,000年前)

               降下したと言われているバミス。丘陵上の平坦面では5cm程斜面では

               20cm程の厚さに堆積している。

第四層:第U黒色層(UB層)。第三層と第五層の間にある腐食土。縄文時代早

            期から晩期末葉間に形成された土層。当遺跡では縄文時代各期の遺物が

               出土しているが、主に縄文時代中期末から後期初頭にかけての遺構・遺

               物が検出された。丘陵上の平坦面では約20cm、斜面では3050cm

               堆積している。

第五層:恵庭a降下軽石層(En−a層)。約15,000年前の恵庭岳の噴火によ

               り降下したバミス。丘陵上の平坦面で約2m堆積し、最上面は風化し厚

               20cm程がローム化している。ローム層の上面では細石刃を伴う石器

               群が出土した。

第六層:茶褐色の火山灰層。支笏火山灰が風化した土壌であると言われている

               が、堆積原因、成因等が不明なため仮称とした。厚さは約80cmあり、

               肉眼では複数の堆積層や明瞭なインボューションが観察できる。

               上面よりエンドスクレイパーを伴う石器群が出土した。

第七層:支笏火砕流堆積物風成2次堆積層。31,00034,000年前に噴出した

               支笏第一テフラに起因する。古砂丘を形成し本丘陵の基盤をなしている。