ウサクマイ遺跡群の位置と地形
縄文時代早期からアイヌ文化期までの数千年
千歳市街より西方約5kmの欄越において、千歳川に北から苗別川が流入する。 札幌から南に約40kmの距離にある。
千歳川の北、苗別川との間には西からウサクマイ台地が張り出しており、北からは苗別川に迫って、北信濃台地がある。
この谷間には古くからランコシ、ウサクマイと言ったコタンが開けていた。
ウサクマイ台地が東に向かい苗別川に落ち込もうとするその裾部分に墓の遺跡が発見されたのは、昭和初年度で、昭和38,39,41年に本格的な発掘調査が行われ28個の墓抗と蕨手刀など金属器と共に土師器そして江別式系続縄文文化の伝統をひく土器が発見された。
8世紀後半に位置づけられ、擦文文化初期の究明に大きな手がかりを与える遺跡として全国的に注目を集める。
昭和48年には、ウサクマイ台地の南側、千歳川左岸の山裾で擦文時代の住居跡が発掘された。
墓抗遺跡をA遺跡、B遺跡と呼び、同時にC遺跡がかくにんされ、この地帯が遺跡の宝庫であることが予想されるようになった。
苗別川流域を中心として行なった遺跡分布調査では、120万uに僅か68ヶ所のテストピットを設け、DからMと冠せられた遺跡が10ヶ所も新たに確認され、しかも縄文時代早期からアイヌ文化期に至るまでの遺物を発見し、数千年に亘り人間生活がこの地に続けられてきたことを改めて知らされた。
(千歳市教育委員会)
第一層:樽前a降下軽石(Ta−a層)。1793年の樽前山の噴火により降下し
バミス。厚さ約60cm堆積し丘陵の最上層として全域を覆っている。
無遺物層である。
第二層:第一黒色層(TB層)。第一層と第二層の間にある腐食土。若干の Ta―aバミスを含む。 縄文時代晩期末葉から1973年の間に形成さ
れた土層である。当遺跡では主に続縄文・擦文時代の遺構・遺物が存在
する。厚さ約20cm。
第三層:樽前c降下軽石(Ta−c層)。縄文時代晩期末葉(約2,000年前)
降下したと言われているバミス。丘陵上の平坦面では5cm程斜面では
20cm程の厚さに堆積している。
第四層:第U黒色層(UB層)。第三層と第五層の間にある腐食土。縄文時代早
期から晩期末葉間に形成された土層。当遺跡では縄文時代各期の遺物が
出土しているが、主に縄文時代中期末から後期初頭にかけての遺構・遺
物が検出された。丘陵上の平坦面では約20cm、斜面では30〜50cm程
堆積している。
第五層:恵庭a降下軽石層(En−a層)。約15,000年前の恵庭岳の噴火によ
り降下したバミス。丘陵上の平坦面で約2m堆積し、最上面は風化し厚
さ20cm程がローム化している。ローム層の上面では細石刃を伴う石器
群が出土した。
第六層:茶褐色の火山灰層。支笏火山灰が風化した土壌であると言われている
が、堆積原因、成因等が不明なため仮称とした。厚さは約80cmあり、
肉眼では複数の堆積層や明瞭なインボューションが観察できる。
上面よりエンドスクレイパーを伴う石器群が出土した。
第七層:支笏火砕流堆積物風成2次堆積層。31,000〜34,000年前に噴出した
支笏第一テフラに起因する。古砂丘を形成し本丘陵の基盤をなしている。