千歳市 ウサクマイ遺跡群

ウサクマイ遺跡群

 ウサクマイ遺跡群

  苗別川流域からは、ウサクマイA遺跡から擦文期、ウサクマイB遺跡からアイヌ期の墓がそれぞれ発掘されている。

  ウサクマイA遺跡は擦文初期の墳墓群で、この遺跡発見以前には擦文時代には土葬は行われなかったのではないかという考えがしばしば提示されるほど、擦文時代は墓制に関しては謎の多い時期であった。

  この遺跡の発見はこのような疑問点に可成り具体的な解答を与えたばかりではなく、擦文文化の成立の一端さえ窺わせるなど学術的にも極めて価値の高いものである。

  今回の調査では縄文時代前期及び擦文期と推定される墓が可成り検出されたが、中でも縄文時代前期の縄文期の墓は3基の内1基から副葬土器が検出された。

(千歳市教育委員会)


 千歳市から支笏湖公園線で、支笏湖に向かう途中に全国の「名水百選」に選ばれた内別川がある。全長2,5km。

内別川 ちとせ川支流

  この川の周辺に人々が暮らし始めたのは約7,000年前の縄文時代早期からです。以後、続縄文、擦文、アイヌ文化期から近代に至るまで、川辺には先人たちの足跡が数多く残されてきました。

 内別川流域の20ヶ所の遺跡を囲む地域と千歳川右岸のウサクマイC遺跡の合計146haが史跡として保護されています。

 ニレやカラマツの巨木の森の中に凡そ1,000年前の竪穴住居跡が窪みとなって残っている。

(千歳市埋蔵文化財センター 田村俊之氏のメールサポートより)

千歳の文化財
北海道埋蔵文化財センター、調査年報12より