縄文時代前期・静川22遺跡の集落
静川22遺跡は縄文時代早期からアイヌ期まで一万年以上に渡って生活を営まれた遺跡です。
縄文時代前期には大規模な貝塚が形成され、同時期の住居跡や墓などが発見されています。当時の生活を知る手がかりを与えてくれる重要な集落遺跡です。


今から約2万〜1万8千年前のウルム氷河期(第四期・日本列島とマンモス参照)の最盛期には海面は現在より100m以上低下していたと考えられている。
その後氷期が終わり気候が温暖化に向かい、大陸氷河が溶けると共に海面は上昇し、内陸深く海が侵入してくる。
この海面が最高位に達した時期が今から7千年〜6千年前の縄文時代早期から前期にあたり、この海進を一般に縄文海進と呼んでいる。
海進最盛期の縄文時代前期は現在より気温も2〜4度高く、海水面は2〜3m程、場所によっては5mも上昇していました。

苫小牧市勇払自然貝殻層は砂利採取のため掘削された工事現場から発見されました。
現在の海岸線から2km程内陸に位置し、Ta-c直下の標高は−0,45m程です。
地層はシルト層(約6千年前の縄文海進最盛期の層)と砂礫層(約7千年前の縄文海進の層)の2層に分かれています。

主要構成貝種は上部シルト層からヤマトシジミ、マガキ、オオノガイなど、下部砂礫層からはウバガイ、アサリ、シオフガイとデリケートな生息環境に応じた貝類群集の特徴を裏付けています。
特に体長30cm程のマガキが密集して形成されたカキ礁は圧巻で、当時の恵まれた環境が窺われます。
本格的な海への進出・縄文海進に伴う漁労の展開
縄文海進に伴う環境の変化は、縄文文化を大きく変えていきます。
低地に深く入り込んだ海はリアス海岸を形成し、魚介類に絶好の生息環境を作り出していきます。
苫小牧には縄文時代早期後半からニナルカ遺跡などに小規模な貝塚や貝ブロックが作られはじめ、前期になると大規模な貝塚が形成されていきます。
苫東遺跡群での貝塚を伴うものは静川22、植苗貝塚、柳館貝塚、美沢4、御前水、柏原14の6遺跡があります。
近郊では千歳市美々貝塚、美々貝塚北遺跡や現在の海岸線から18,5kmも離れた早来町東早来遺跡があります。
その頃の苫小牧地方の縄文人は丸木舟を駆使して、石の錘を使った網漁をはじめとする漁労活動を盛んに行うようになります。


貝塚は情報の宝庫です


貝の種類がわかると海の深さや、岩礁や砂浜海岸であったのか、内湾か外洋か生息場所の特徴を調べるのに役立ちます。つまり古環境を復元することが出来ます。更に、貝殻に含まれている炭酸カルシューム(石灰質)が土壌の中の酸を中性化し、生物の有機物質である骨を腐敗から守るため、貝塚からは通常の地層からは見ることのできない動物の骨や人間の骨、骨角器が可也保存の良い状態で出土します。
これらの骨から当時の人がどんな種類の動物を狩猟して食べていたかがわかります。
貝塚から出土する様々な貝殻、骨や石器などから、当時の狩猟、漁労の方法や調理の仕方を知ることができます。
静川22遺跡の縄文時代前期の集落は住居域と墓域とが整然と区別されていました。
住居は南西の平坦部に、墓は南東の緩斜面にまとまって作られています。
貝塚は大型のA貝塚が北斜面に、小型のB貝塚が住居群の近くに構築されています。
集落の周辺には多くの焼けた石や焚き火の跡があることから、貝を焼けた石で蒸したり、土器の中で煮たりした大規模な貝の加工場とも考えられます。



苫小牧の縄文時代前期の遺物
食材を調達・加工した道具
石器
縄文時代前期の特徴は、水産資源の利用が活発になることと、植物性食料が豊富になり、それを利用する技術が発展する。銛、錘などの漁労活動を裏付ける石器や堅果類や植物繊維を磨り潰すために使われたすり石や石皿が多く出土しています。
道内には北海道式石冠と呼ばれる独特な形態をもつすり石がある。


骨角器
骨角器はシカの角や骨を加工したものが多く、静川22遺跡ではモリ先、ツリ針、ぬい針などが600点以上も出土しています。
そのうち貝をむくために使用したと思われる尺骨製の刺器が大半を占めています。

食材を調理した道具・土器
縄文時代前期には全道的に底の尖った縄文尖底と呼ばれる土器が作られるようになる。
胎土に植物繊維を多く含むこれらの土器はそれぞれ出土した遺跡から函館市春日町式土器、静内中野式土器、苫小牧市植苗式土器などと呼ばれている。
網走市大曲洞窟から出土した綱文式土器と呼ばれる土器は器面に縄を巻いたような太い文様が付けられている。


苫小牧の遺跡からは道東、道南や東北地方の影響を受けた、様々な土器が出土しています。このことから、当時は各地との交流が盛んに行われていたことが解ります。
