発掘調査と史跡公園計画

 発掘調査と史跡公園化

 苫東地域内の埋蔵文化財調査は、昭和48年から3ヶ年計画で分布調査が実施された。 既知の5遺跡のほか、柏原地区、静川・厚真地区、遠浅地区などで合計32ヶ所の遺跡が新たに発見されている。

 昭和48年秋のオイルショック(石油危機)は、国内外の経済状況に多大な影響を与え,エネルギー資源の安定確保のため、国内における石油備蓄基地建設の必要性を喚起した。

 石油備蓄基地建設構想が浮上する中で、54年には静川地区、翌年55年には静川・厚真地区における分布調査が実施され、新たな遺跡が発見されている。

 本書収録の静川16遺跡は縄文時代の「環濠」が検出されたことで、一躍注目を集めた。

 調査終了後、1024日には北海道考古学会による現地説明が実施され、11月1日には暫定処置として環濠部分の埋め戻しが行われた。その後、苫小牧東部工業基地埋蔵文化財連絡協議会、環濠問題検討小委員会(58年6月設置)、道内の学識経験者による環濠問題検討委専門会議(59年9月設置で、環濠の性格、歴史上・学術上の価値、保存・保存方法についての検討会が繰り返され、60年5月には現地保存の方向が打ち出された。

 61年5月には、文化庁の指導のもと史跡指定にむけて背後地の調査がなされ、指定範囲の確定を行い、同年9月の北海道文化財保護審議会、10月の文化財保護審議会の答申を経て、翌62年1月には「静川遺跡」として国の史跡指定を受けるに至っている。

 国の史跡指定を受け、平成2年には学識経験者5名による「国指定静川保存整備委員会」が設置され、平成4年3月には周辺の環境も配慮した体験・学習型の史跡公園として整備・保存を促す答申が出されている(抜粋)



2006/09/初旬に北海道苫小牧市立中央図書館より「静川遺跡史跡指定の経緯」という本が堺市の南図書館に来るはず。 何故、当地でも貸し出し禁止なのか?

何故部数的に?部数を増やしての公開する価値があるのか否か? 事務局:苫小牧教育委員会社会教育部に訪ねてみたい!内容的には追加記事として大切にしたいものがあるかも?)