遺跡の位置と出土遺物

 遺跡の位置と出土遺物

 静川遺跡

 厚真台地の北西部、北に突き出た樹枝状台地の先端部に位置する。

 静川14遺跡(A〜E)での、A地区では、縄文早期末葉の住居跡30基をはじめとして、落とし穴54基、土坑22基、焼土跡3基が検出され、早期末葉の土器を主体に約5万点の遺物が出土している。早期末葉の集落としては静川8遺跡に次ぐ発見である。

 B地区では住居跡3基、落とし穴54基、土坑34基、焼土跡8基まどが検出され、早期末葉の土器を主体に約一万点の遺物が出土している。

 苫東遺跡群では、最初に旧石器時代の遺物(彫器)が発見された遺跡である。

 C地区は落とし穴10基、土坑6基、焼土跡3基が検出され、後期中葉と末葉の土器を主体に1,300点ほどの遺物が出土している。

 静川15遺跡では縄文時代の落とし穴1基と、縄文中期の土器など160点ほどの遺物が出土しているのみである。

 静川22遺跡では縄文・続縄文・アイヌ時代の遺構300基、遺物が約33万点発見されている。

 縄文早期には集落と墓が形成され、苫東基地内では数少ない貝殻文土器が出土している。

 前期には集落と墓に加えヤマトシジミを主体とする貝塚が形成され、多量の骨角器が得られている。土坑墓にはベンガラが散布され、完形土器が副葬されたものと見られる。

 早期から前期にかけては良好な資料が出土している。

 中期には集落が形成され、落とし穴が構築されている。

 後・晩期には住居跡1基と少量の遺物が出土しているのみである。

 アイヌ時代にはシカの解体場跡や土坑墓1基のほか鉄製品・ガラス玉・陶器片などが出土している。又、墓にはタシロ・マキリ・キセリなどが副葬されていた。

 静川23遺跡では縄文時代の落とし穴1基、土坑12基、焼土跡3基などが検出され、アイヌ時代の鉄製品(マキリ)1点を含み、縄文・続縄文時代の遺物が1,200点ほど出土している。

 静川24遺跡では縄文時代の落とし穴2基、土坑3基、焼土跡5基が検出され、縄文・続縄文時代の遺物が830点ほど出土している。

 柏原17遺跡

 柏原台地のほぼ中央部に位置し、南から入り込んだ低地に面した東向きの丘陵縁辺部に立地している。

 同一丘陵の南側先端部には柏原1・216遺跡、西に沢を挟んで柏原19遺跡、更に西には柏原1418遺跡が位置している。

 柏原1遺跡では縄文晩期の遺物が出土している。

 柏原2遺跡では縄文後期後半から晩期の遺物が出土している。

 柏原14遺跡ではヤマトシジミを主体とし、マガキ・アサリ・ウネナシトマヤガイ・クチバガイなどの貝類のほか、エゾシカ、スズキ・ボラ・カサゴなどの獣・魚骨を含む縄文前期の貝塚で、土器・石器・骨角器などが出土している。

 柏原16遺跡では縄文晩期の土坑墓2基、土坑334基、焼土跡70基のほか、落とし穴10基が検出され、晩期中葉の土器を主体に54,0001点の遺物が出土している。

 土坑墓の内1基の抗底からは焼土と炭化材が確認され、火を使った儀礼の可能性が指摘されている。

 柏原18遺跡では住居跡6基、土坑墓24基や土坑212基、焼土跡53、現代の塹壕跡2基などの遺構が検出され、晩期中葉の土器を主体に、前期〜晩期・続縄文・擦文時代の遺物が十二万五千点ほど出土している。

 住居跡は縄文前・中期の所産と考えられるもので、中にベンチ状構造をもつものや長軸推定16mという大形住居跡などが見られる。

 土坑墓は晩期中葉のもので、6基から遺体が確認され、うち1基には焼人骨が埋葬されていた。又完形土器などの副葬品を伴うのもみられた。土坑や焼土跡の多くは晩期中葉のものである。

 遺物では前期末〜中期中葉、末葉など各時期のものが纏まって出土している。又、晩期の土偶3点があり、うち1点は接合し完形となった。そのほか、8kgほどの焼骨片が出土し、骨角器やエゾシカのほかイノシシの骨も確認されている。