オホーツク文化

海に生きたオホーツク文化(高橋 健)

オホーツク氷民文化

  オホーツク人が海に関わりの深い生活を送っていたことは、既に昭和初期に、オホーツク文化の骨角器の内容、動物意匠遺物のモチーフ、遺跡分布などから論じられた。

 銛頭や骨鍬などの遺物が豊富であることから狩猟が盛んであったことを指摘し、動物意匠遺物のモチーフの比率から「海に二分、陸に一分」の関わりを持っていたと考え、更に北海道におけるオホーツク文化の遺跡が沿岸部に偏在することから、オホーツク人が「漁労本位の漂浪生活」を送っていたと推測される。

  ここで根拠の一つとされた動物意匠遺物はその後著しく資料が増加しており(「オホーツク「クマ祀り」の世界・参照」宇田川 洋)、北海道のオホーツク文化のものとして124例が挙げられている。

 

 現在ではこれらのモチーフはオホーツク文化の生業よりむしろその動物信仰と結び付けて考えられている。

 動物意匠は、北方民族に共通するものであり、北方地域の厳しい自然の中で狩猟生活を行うことで養われた観察力を反映したものだとされている。

 又動物意匠遺物の中には狩猟・漁労の場面そのものが描かれた資料も幾つか見られる。

 例えば、根室弁天島遺跡・1、樺太鈴谷貝塚出土の鳥管骨製の針入れには、人間の乗った船とクジラの線刻が見られ、両者が銛縄を表したと見られる線でつながれていることから、銛による捕鯨の場面を描いたものだとされている。

 オホーツク人が寄りクジラの利用に留まらず、船からの銛猟による積極的な捕鯨を行っていたことを示しているといえよう。

「蝦夷山海名産図会」に見るアイヌのオヒョウ漁。

  オホーツク文化の特徴的な狩猟・漁労具として、銛頭、釣り針、石錘については、銛頭と釣り針は主に鹿角や海獣骨で製作された。これは、骨や角が比較的加工がし易くかつ丈夫であるという特質を持ち、銛頭や釣り針のようなある程度複雑な形態を要求される利器の製作に適しているためである。質量共に非常に豊富なことで知られるオホーツク文化の骨角器の中でも、銛頭と釣り針は代表的な器種となっている。

 水域での狩猟においては、獲物を倒すと共に、倒した獲物を回収することが非常に重要である。従って、狩猟具もその為に工夫されることになる。例えばヤスにカエリをつけることもそのような工夫のひとつであるが、カエリによって獲物の体内から抜け難くなっても、獲物が大きな場合などは、強い力が加わるので先端部が柄から外れてしなったり、柄が負荷に耐えられず破損することがある。

そこでこれを防ぐために先端部が柄から簡単に外れるようにし、先端部に結びつけた縄によって獲物を確保する道具が銛である。従って、銛は海獣や大型魚類などを対象にして用いられたと考えられることが多い。

 一般に銛は、先端部の銛頭、銛頭をつなぎとめる縄、柄、柄の先端に装着される中柄などの部品からなるが、木や皮などの有機質で作られたと考えられる柄や縄はオホーツク文化期の遺跡から出土した例はない。又中柄についても出土例がないので、木で作られていたか、もしくは用いられていなかった可能性もある。

 オホーツク文化の骨角製銛頭は、量的にも多く、形態もバラェチーに富んでいる。これを柄への装着方法、縄の機能と方向、及び銛頭の抵抗機能を分類基準として整理してみる。

オホーツク文化の銛頭の分類

銛頭の分類基準

オホーツク文化の結合釣り針の分類

北西海岸インディアンのオヒョウ漁

オホーツク文化の石錘

  最後に海での活動には欠かせない船について

 北方民族の用いる船としては丸木舟の他に板張船、板綴船、皮船、樹皮船などがある。

 これまでのところオホーツク文化の船そのものが遺跡から出土した例はないが、船を模したと考えられる製品が幾つかある。

 左1の土製品は船首が棒状に立ち上がることから板綴船若しくは板張船だと考えられている。右2の木製品もその形態から板張船としてよさそうだ。

 香深井A遺跡からは形態のやや異なる船型土製品が出土しているが、一点は皮船ないし樹皮船だったと推測されている。(発掘調査表

 弁天島遺跡と鈴谷貝塚出土の針入れに見られる線刻では、船の上に短い縦線が描かれており、人間を表したものだと考えられている。そうだとすれば、それぞれ7〜9人乗りであり、オホーツク文化には少なくとも数人から十人程度が乗れる大きさの船が存在したと推測される。

 今日、北海道の特産品といえば、様々な海の幸。オホーツク海とサロマ湖に面し、常呂川が流れる常呂町は、中でも漁業に適した土地だということができる。かつてここに暮らしたオホーツク人も又オホーツク海の豊かな恵みを巧みに利用していきていたのである。

「蝦夷器具図式」


常呂町など道東で主に出土するタイプの銛頭。中央に巡る溝に縄を巻き、銛頭を固定する役目と、銛頭を縄でつなぎとめる役目とを兼ねる。素材となる海獣骨の形状により、形に多少の違いが見られる。トコロチャシ跡遺跡。

銛頭。このタイプの銛頭としては常呂町で初めての出土例である。銛頭をつなぎとめるための縄を通す孔が体部の中央に二つ並び、そのすぐ下に柄を固定するための縄を巻く溝を巡っている。頭部が欠けているが、鉄鎌をはめ込むための幅の狭い溝が作られている。トコロチャシ跡遺跡


銛頭。左が前田B群、いずれも縄で通す孔の部分で折れている。

モヨロ貝塚


モヨロ貝塚


結合式釣り針軸。トコロチャシ跡遺跡


結合式釣り針軸。トコロチャシ跡遺跡


骨鏃。オホーツク文化には幾つかの異なったタイプの骨鏃が見られる。

モヨロ貝塚


      

骨鏃。モヨロ貝塚

骨斧。トコロチャシ跡遺跡

まな板状製品。トコロチャシ跡遺跡

針入れ。モヨロ貝塚

刺突具。モヨロ貝塚

角器。エイと釣り針が彫りこまれている。栄浦第二遺跡

北の異界・古代オホーツクと氷民文化