(三浦 正人 北海道埋蔵文化財センター調査課長)
縄文・続縄文時代の漆工品の歴史は、縄文早期からはじまり続縄文時代に衰退する。
発生・始動期
2000年夏、南茅部町垣ノ島B遺跡で縄文時代早期の赤色漆塗り装飾品が発見され、その後の調査で約
9.000年前の繊維製品であると判定された。
早期垣ノ島B遺跡の製品との類似性も注目される。縄文前期では南茅部町ハマナス野遺跡と木古内新道4遺跡から赤色漆塗りの盆状木胎漆器が出土しており、道南では漆塗りの「うつわ」が使用され始めたことがわかる。
中期では南茅部町臼尻B遺跡で赤色漆塗り装飾品が出土している。分析からこの製品の赤色顔料はベンガラと朱であることが確認され、北海道で朱を使った最古の製品となっている。
石狩市紅葉山49号遺跡からは内面を赤色漆塗りした鉢状木胎漆器が発見されている。早期〜中期の発見数は少ないが、木胎漆器など後期以降にも見られる漆工品は既に認められる。
道南から道央への分布からして東北地方との交易で得た可能性が高い。ただ早期から見られる赤色漆の糸を使った繊維製品は大陸との交易品の可能性も考えなくてはならない。
盛行期
縄文時代後期になると北海道の漆文化は開花し、ほぼ全道の遺跡から結歯式堅櫛、装飾品、弓、木胎漆器などの漆工品が出土している。
周提墓などの大規模な区画墓の時代で、櫛や全面赤色漆塗土器が登場するなど儀礼や副葬品に多数の漆工品が使用され、流行と交易・自家生産の相互作用で盛行したものといえよう。
櫛は道央部で、恵庭市ガリンバ3遺跡の53点を筆頭に、小樽市忍路土場遺跡で19、千歳市美々4、苫小牧美沢1、2遺跡、恵庭市柏木B遺跡、千歳市キウス4・5などその他多数。
晩期でも道央を中心に各地で後期と同様の漆工品が出土しているが、その数は既に減少し盛行のピークは過ぎた感がある。
衰退期
縄文期に活気があった漆文化は、続縄文期には潮が引く如く衰退する。道南部での漆工品の出土もなく、櫛や漆工繊維製品も見られなくなる。交易や東北地方の漆文化の変化と密接に関係するのである。
まとまった木製品・繊維製品・漆工品の出土は、縄文〜続縄文期の北海道においてはまだまだ少ないと言わざるを得ないが、比較的まとまった出土を見せる石狩市紅葉山49号遺跡、小樽市忍路土場遺跡、千歳市江別太遺跡では、ある程度当時の風景や生活が浮かび上がってくる。
それは、漁獲施設を有し漁労を生活の中心に据えたムラであったり、低湿部の安定面に食・祭を中心とする総合作業の共有地=作業場・水場を設定したムラの姿である。彼らは木工・繊維・樹皮工芸・漆工など食物以外でも植物を利用する高度な技術を持ち、自然の恵みを享受して有効利用していた。
更に、交易を行い、豊かな生活・文化を維持・発展させていった。忍路土場遺跡には漆工集団がおり、巨木文化を担いながらストーンサークルを成立させた。 キウスの人々も数多くの環状土?を構築した。
これが木製品出土遺跡から得られる縄文のイメージである。更に続縄文期の江別太遺跡など、明らかに擦文〜アイヌ文化期へと継承されていくものである。
新北海道古代史―2 続縄文・オホーツク文化(野村 祟 宇田川 洋編)