函館空港遺跡群

函館空港遺跡の縄文早期大規模集落

  中野B遺跡・600軒を越える竪穴と50万点を越える遺物

中野B遺跡は縄文時代早期の遺跡。600軒を越える竪穴などの遺構と50万点を越える遺物量。 

 竪穴住居跡、土坑の大部分は銭亀宮の川沿いの6千u程の地域に集中し、主体となる出土遺物からみて、縄文時代早期中葉の住吉町式からムシリT式土器の段階まで居住が繰り返され、大規模な集落跡が形成された。現在では滑走路延長工事も終了し、当時の面影はない。

 銭亀宮の川を挟んで中野B遺跡の対岸にある中野A遺跡では道内では最も古い部類、最初期の竪穴住居跡が1軒確認されており、古くからこの段丘上には縄文人の生活の痕跡が認められる。

 中野A遺跡もB遺跡も一時期に形成されたものではなく、土器の内容から時間的前後関係や同時性が認められる。この海岸段丘を生活空間、生活領域として、移動や分散、集合を繰り返してきたことを示している。

 中野B遺跡では数多くの竪穴が検出されているが、重複するため竪穴全体の形状を窺えるのは3割程度で、内部に炉跡や灰の痕跡が認められたものは少ない。

 昭和53年の函館市教育委員会の調査報告でも大多数の竪穴がそうであったように、平面系が隅丸方形から隅丸長方形で、中央に隅丸長方形の浅い掘り込みで作られた炉を持つものである。そして、炉を中心にして4本の支柱穴が方形に配置される。

 大型の住居跡は平成8年度の調査で、銭亀宮の川から約80m離れた地点に列をなして確認された。一般的な規模の2倍から3倍の広さを持っている。

 竪穴によっては4本全てが同じ深さとは限らず、1本が浅くなるものも見られる。全ての規格が揃わなくても上屋の荷重に耐えられれば良いといった縄文人の合理的な考え、竪穴住居構造を経験的に十分に熟知したことが窺えられる。

いずれにしても、炉を中心とした4本柱という設計思想があったと推定される。

 又、大型の竪穴には、炉跡が竪穴中央から北側に若干ふれ、炉を中心として配置される一隅に複数個の規模で同じ支柱穴が検出された。竪穴の立替が考えられる。支柱穴も竪穴南側に2本が加わり、合計6本で構成され、竪穴拡張の結果として考えられる。

 竪穴規模の大小の分化は、竪穴構成員の増加に起因する大型竪穴の出現によるか、集落維持装置の必要性からも大型竪穴が出現するのは判断ができない。

 しかし、集落内の意識なり、集落構成員の動態を考えればそれなりの意味がある。竪穴の耐用年数は定かでない。竪穴の立替は長期間の使用が考えられるであろうし、拡張の結果としての竪穴の大型化であったとしても、住居作りにかかる材料や作業量の増加は避けられない。

 竪穴住居建設が集落構成員の共同作業を前提として考えるならば、大型住居に通常生活以外の性格が付加された可能性を考えなければならないだろう。

  5万点越える石器

 縄文時代の道具には土器や石器、木や骨角器などの道具が考えられるが、残念ながら後者(木や骨角器類)の遺物は日本の酸性土壌では残りにくく、中野B伊勢では前者に限られている。

 土器や石器といった道具の多さは又、縄文人の活発な活動の記録でもある。

 縄文時代の主要な石器には、狩猟具として石槍や弓矢の部品である石鏃、獲物の海退などに使用されるナイフ類(石匙・スクレーパー)、植物性食料をするつぶすなどする調理具としての石皿・すり石・敲石の類、木の伐採や加工には磨製石斧が使用される。穴を開けるためには石錘、石斧などを磨くためには砥石が工具として必要である。漁網用や編み物用の錘りといわれる石錘などが上げられる。

 中野B遺跡でも、大方の石器機種が出土しており、縄文時代を通じて見られる組み合わせが縄文時代の早くから整っていたことを示している。

 縄文人の石器石材へのこだわりや、広範囲の「もの」の移動、人的交流が行われていたことが窺いしれる。

 中野B遺跡では5万点を越える石器が出土している。そのうち主要な機種の内訳は、石鏃1.7%、石匙・スクレイパーが14.3%、石斧0.7%、敲石・磨石12.7%、砥石・石鋸5.8%、石錘(26.640点)で半数近く占めている。石錘を除いた礫石器の中では磨石、敲石が多く、近年明らかになってきた植物質食料の度合いが高いことを窺わせ、中野Bでもその傾向が読み取れる。

 縄文時代は又非実用の道具を発達させた時代とも言われる。それらは実用性に乏しく、その形態から機能を読み取ることのできないもの。その社会にあってしかるべき使用法をとれば、人間の力を超えた相応効果が期待できるもので、精神世界において実効ある道具とされる。

 中野A遺跡では道内最古の土偶が出土しているが、残念ながら中野B遺跡ではその類の遺物の出土はない。

 しかしながら、実用の道具に付加される要素や道具・石材を選択するという当時の行動、特別に表現される出土状況から、縄文人の生活に根ざした豊かな発想や精神活動の一端が捉えられる。

新北海道古代史―1 旧石器・縄文文化(野村 祟  宇田川 洋編)


1