(「日本の古代遺跡 北海道 野村 祟」
南茅部町の中央部を流れる川汲川下流域左岸の低位段丘上に、72千uにわたって広がる縄文時代前期・中期を中心とした竪穴住居跡100軒以上、土坑など100基以上が検出されている。
初期の円筒土器を伴う住居は、直径4〜5mの楕円形であり、主柱穴は4本、床面に扁平な石皿様の石を埋め込むか配置している。
ハマナス野遺跡では住居跡群と土坑群との境には、70mを越える集石帯が形成され、配石、大型石組炉が、埋設土器、焼土などが同一線上に配置される。この集石帯は住居跡群を取り巻くものと考えられ、集石帯をもって遺跡は内帯が住居跡、外帯は土坑群に二分される。
集石帯からは、石皿、石冠、石斧、石剣、土器が出土している。集石帯の下には「廃屋墓」が構築されており、葬送儀礼の場であったことが裏づけられた。
廃屋墓とは、使われなくなった住居跡の覆土のなかに掘り込まれた墓のことで、関東以北の地域では断片的に発見されているが、北海道では初めての発見であった。
廃屋墓の形態は長楕円形を主として、副葬品のあり方にもバラエティがある。被葬者が男と考えられる墳墓には石鏃、ナイフ、石槍、石斧、希に垂蝕が伴い、又、サメの歯が発見される。
女と考えられる墳墓には、小砂利や倒立した土器が副葬されることが多く、これらには共通してベンガラが多量に散布される。
特異な遺物としては石剣があり、晩期のものとは形態が異なる。又、三角形の岩偶や土器の破片を長方形に擦り切った土器片版も特徴のある遺物である。
ハマナス野遺跡(縄文時代前期後半、今から約5,500〜5,000年前) 函館市川汲(かっくみ)町を流れる川汲川左岸、役場 支所や南茅部公民館周辺の海岸段丘上につくられた縄文時代前期後半の集落跡です。総面積は約72,000uで、昭和48年以来22回に及ぶ発掘調査で約14,000uの発掘を終え、竪穴式住居約200軒、お墓や食料貯蔵用の土坑260基以上が発見されています。集落の中心部には広場のような平坦部がつくられ、その東西を集落が囲んでいることから、集落の構造を考えるうえでも注目されています。 遺物では、本州との交易を示す新潟産のヒスイの首飾り、漆を塗った木製品も発掘されています。また、炭化したヒエの種子が発見され、簡単な雑穀の栽培も行われていたことがわかりました。 縄文時代前期後半の土器は、バケツを上下に伸ばしたような円い筒型をしていることから、円筒(えんとう)土器と呼ばれています。この土器は道南や、北東北(青森・秋田・岩手)に分布しており、これらの地域がひとつの土器文化圏であったと考えられます。(執筆 小林 貢 氏)
南部町ハマナス野遺跡は、川汲川左岸にある縄文時代前期の大規模な集落跡です。北海道を代表する円筒土器文化の集落で、昭和48年から22次の調査を行い、これまで200軒を超える竪穴住居が発掘されています。集落の構造は、二つに分かれた集落を基本としていることがわかります。